
また、機械的な計算を早く、正確に出来るLD児がいます。しかし、数の概念を十分に理解していなかったり、文章問題は全く駄目であることが往々にしてあります。周囲からすれば、全般的な遅れがあるLD児に何かひとつでも平均、またはそれ以上のことが出来た場合は称号を与えたくなります。 本人にしても、常日頃から褒められたことはあまりないので、褒められたことについてさらに集中していくことになるのです。
しかし、このような状況は視覚や聴覚などの認知能力の偏りを知能の高さと勘違いされているだけなのです。その感覚的な能力が限界にきた時、称号は消えてしまい、その失墜感と自信喪失感は本人の心に大きな問題として影響を与えかねません。
本人も喜んで集中できることがあったら、さらにそれを深める方向ではなく、それを核にその周辺をつなぎ合わせ、広げていくことが大切です。例えば漢字博士については単語としては記憶していても文章問題などができないようなので、本人が知っている漢字を使わせて日記をつけることや、友達や先生に手紙をかくことでバランスのとれた理解をさせることができます。 重要なことは、あまり本人を持ち上げず、集中できている芽を大切に育て、バランスのとれた取り組みをしていくことです。